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アルファポリス
72 Spirits of Solomon The King

02-Beelzeboul

蠅の王あるいは気高き主 - Beelzebul, The Lord of Fries

ベルゼブル - Beelzeboul, Beelzebul, 『ソロモンの契約』において、ソロモン王の求めに応じて、契約の指輪によって連れてこられた魔神である。同じく『ソロモンの契約』に現れる魔神・オルニアスにソロモン王が命じる事で、王の御前に引き出された。悪鬼魔神達の頂点に立つ君主である。人を殺人、*ソドミー、その他あらゆる邪悪な行いに引き込むという。

ソロモン王に問われて、自らを魔神の君主であり、金星に関連した存在であること、かつては天で天使の軍勢を率いた天使であり、堕落したいまでも唯一神を恐れていることを明かした。その後、ベルゼブルはソロモン王から他の魔神達を連れてくることを命じられた。『ソロモンの契約』で語られるベルゼブルは、堕天使・ルシファーと同一の存在とみて間違いないようだ。

ベルゼブルは、旧約聖書「列王紀」に現れるペリシテ人の神・バアル・ゼブブ Beelzebub 、及び七つの大罪のひとりに数えられているベールゼブブと同一の存在である。本来は豊饒の神として、バアル・ゼブル(高き館の主、もしくは気高き主)Baal-Zebul という名で呼ばれ、シリアで崇拝されていた。しかし、イスラエルの地に住んだカナン人、すなわち古代ユダヤ人はバアル・ゼブルを含めたバアル信仰を邪教とみなし、ヘブライ語でバアル・ゼブブ(蠅の王、一説には糞山の王) Baal-Zebubu と言い換え蔑んだのである。こうしたあからさまな貶めは、バアル・ゼブル信仰が豊饒神ならではの性儀式を伴うものだったとされる為もあるが、やはり古代ユダヤ信仰において、宗教的なライバルとして無視できない存在であったことが大きいようである。

悪魔の頭・ベルゼブルに関しては、新約聖書の**マタイによる福音書と***ルカによる福音書にも記述がある。福音書作者たちののベルゼブル嫌いは徹底していた。***イエスが目が見えず口が利けない人を癒していると、これを見たファリサイ派の人々が「この男は悪魔の頭であるところのベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのではないか」と論争を持ちかけた。しかし、イエスは彼らの企みを見抜いて、*****「もしサタンがサタンを追い出すのであれば仲間割れすることになる」と答えて彼らの追求をみごとかわしたという逸話である。

このように、ベルゼブルはサタンと同一視され、悪魔の頭であるとみなされていたのである。
詳しくは七つの大罪・ベールゼブブの項目も参照のこと。
また七つの大罪・サタン及びルシファーの項目も参照されたし。



*ソドミー - Sodomy, 主に肛門性交、同性で行う性行為を意味する。古くは、男色や獣姦など、「自然に反した」と定義される性愛を指す。 この語句は旧約聖書「創世記」18〜19章に現れる悪徳の町・ソドム Sodom よりとられている。ソドムの町は、非常に重い罪を犯した代償として、神が天から硫黄と火を降らせたため、滅ぼされた。この伝承では、ゴモラの町 Gomorrah も同様に滅ばされたのだが、こちらは語呂が悪いのか、同語の語源にはなっていない。

** マタイによる福音書 - 12章26節及び3章20-30節での記述にベルゼブル(サタン)への言及がある。

*** ルカによる福音書 - 11章15-26節での記述にベルゼブル(サタン)への言及がある。

**** イエス - 紀元前4年頃〜29年頃にいたとされる、ナザレのイエスのこと。イエスの呼び名は、ヘブライ語からギリシア語に転写されたもので、本来はヘブライ語のヨシュア Yehoshua もしくはアラム語の Yeshua である。「ヤハウェ(神)は救い」「救い主」を意味する。キリスト教においては、キリスト(油を注がれたもの)の敬称を持ち、神の子が受肉して人の姿をとった無原罪の存在とされるが、ユダヤ教においては本来、一伝道師であった。伝道師としての公的な活動は比較的短く、最後に「自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪」により、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑に処せられた。この人物の教えは、結果としてユダヤ教の一派としてではなく、新たにキリスト教として広く知られることになった。イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は、キリスト教の重要な指針となる伝道書である。イスラム教においては預言者のひとり・イーサーとして知られる。

***** 「もしサタンがサタンを追い出すのなら、仲間割れすることになる。そんなことで、どうしてその国は立ち行くであろうか。」(マタイ 12:26) - ここではイエスが悪魔の力を借りて治療を行っているという追求を、このように切り返している。なぜなら、イエスの治療が悪魔の力によるものなら、ファリサイ派の人々で同様の治療の行為を行うものたちも同罪ということになる。結果、彼らを同じファリサイ派が裁かなくてはならなくなる、といっているのである。ちなみにファリサイ派とは、イエスと同時代に民衆の間で影響力をもっていた、ユダヤ教内グループのことである。それまでの律法に異を唱えるイエスとは、様々な面で対立した。



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